記憶を抱えたままで

 


いつも手元ばかり見ていて気がつかないけど、顔を上げると光の色がやわらかくてきれい、10月だ。

今週はすこし沈んで水の中でもがいてるみたいな日々で、5月より10月の方が断然不安定になりやすい、と思ったりした。気長に気長に、とおまじないみたいに自分に唱える。

数ヶ月前に沢山詰め込んだライブの予定が次から次へとやってくる。羊文学、Rex Orange County、まだ他にもある。昨日のライブはすばらしかった。行ったことのない場所で、いろんな人がいた。

 


ライブは記憶の集まるところだ、と思う。泣き出したい朝、疲れて何も考えられない帰り道、誰かとの幸福な昼下がり、その曲を聴いていた記憶が、その時の濃度のままずるずると引きずり出されて、空間で弾ける。音に乗ってゆれる。今いる人も、いなくなってしまった人の亡霊も、やってきてはそれぞれに思い出し、ただただ音楽を喜ぶ。

 


去年の今頃はセーターを引っ張り出して着ていて、季節の変わり目にようやく新しいセーターを着れた嬉しさをまだあたらしく思い出す。

1つ思い出して、そのままどんどん思い出す。寒い日、廊下に置いた布団の日向の匂いとか、厚着が苦手だったこととか。


過去はつまんで眺めるだけなら甘いけど、じっくり見ると苦くて切なくて目を瞑りたくなる。

 


記憶の集積、集まった過去たち、わたしたちは沢山の記憶を抱えたまま真っ直ぐステージを見つめて、今この瞬間の音だらけの祝祭と共にいるのだ。